福島原発の事故がFUKUSHIMAという単語に変わった時にロシアの人々は否応なくチェルノブイリを回想した。
意外に思うかもしれないが、実はサンクトペテルブルグ市は親日度が非常に高い。
市の主催で「日本の春」「日本の秋」というイベントを10年以上連続で開催している程親日度が高い。
ロシアの人々からみたFUKUSHIMAは他人事ではなかったのだ。
3.11から3日後TELが市の外郭団体からあった。
「あなたは日本人ですね?市で主催していた日本のイベントが全てキャンセルになり、予定していたイベントは全て慰霊のものに変更になります、3日後のイベントで演奏してください」と。
もちろん承諾した。
場所はメトロ「Парк победы(Victry Park)」駅近くにある国立ライブラリーの一階ホールだった。
本来であれば「ロシア人の見た日本」という写真展であったが、3.11の為に「失われた日本」というイベントに変わった。
当日にわかったのだがその日がオープニングイベントで、慰霊のために演奏をするという事だった。厳粛なイベントで日本国領事、現地テレビ局、新聞社の人達がきていて取材された。
そこからが、色々な事の始まりだった。
(続く)
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